神川町(小浜)出身 江戸後期の人気力士「武蔵野門太」

神川町(小浜)出身 江戸後期の人気力士「武蔵野門太」

相撲錦絵師・木下大門さんの手により現代に蘇る!

 

相撲錦絵師・木下大門さんの手により蘇った神川町(小浜)出身の江戸時代の人気力士「武蔵野門太」の錦絵が10月に町に寄贈されました。この度、本校にもそのレプリカをいただきました!郷土の偉人として校内に掲示したいと思います。来校の際は、ぜひ、御覧ください。

<武蔵野門太>

神川町小浜出身 初土俵は天保4年(1833年)

しこ名は「神田川」、2年後に「武蔵野」に改名し、天保9年(1838年)に姫路藩酒井家のお抱え力士となる。最高位は前頭4枚目。武蔵野門太は力士としては小柄でしたが、極めて巧妙な技を使う手取り力士であったと伝えられている。

嘉永5年(1852年)に引退し、引退後は年寄「大嶽」を継ぎ、文久元年(1861年)生まれ故郷の小浜で亡くなる。

武蔵野門太は、歌川国貞らにより何枚もの錦絵が描かれており、当時の人気力士であったことがうかがわれる。

 

<木下大門さん>

昭和の大横綱大鵬と同じ北海道弟子屈(でしかが)町出身。

勝川派の流れを踏襲した伝統的浮世絵師として、明治以来途絶えていた相撲錦絵を復活させる。相撲錦絵は国技館内で販売される土産品の目玉として、ダイアナ妃来日時の観戦記念など多くの外国要人に寄贈されている。

(神川町教育委員会生涯学習課発行文書参考)

 

<武蔵野門太>江戸が愛した証し(朝日新聞 2022年10月20日)

江戸時代の力士にまつわる「大発見」 地元はザワザワ

江戸時代末期。いまの埼玉県神川町出身の武蔵野門太(もんた)(1809~61)という力士がいた。最高位は前頭4枚目で、生涯成績も負け越し。なのに、なぜか人気を博したという。そんな謎めいた力士にまつわる「大発見」が、町をざわつかせている。19日午後、日本相撲協会公認の大相撲錦絵の絵師・木下大門さん(75)が、門太の錦絵を町に寄贈した。大発見は午前中に立ち寄った場所にあった。門太の生まれた小浜(こばま)地区の小松神社には相撲の祖「野見宿禰(のみのすくね)」を祭った碑がある。門太が建てようとして果たせず、やはり力士だった門太の長男が1890(明治23)年に建てた。木下さんは裏に回って驚いた。刻まれた寄付者の中に「市川團十郎」「市川左團次」「小錦八十吉」「高砂浦五郎」など、当時の歌舞伎や大相撲のビッグネームがひしめいていた。

身長160センチほどの小兵ながら、切れ味鋭い多彩な技の持ち主だった門太。人気浮世絵師の歌川国貞らが作品に残すほどだった。「こんなに各界の大名跡と交流が持てた力士だったとは。これは貴重な資料、町のお宝ですよ」と木下さん。記録として残すことを町に要望した。

びっくりしたのは、同行していた町関係者も同じ。錦絵の贈呈式で桜沢晃町長は「町の偉人として紹介し、町の活性化につなげたい」とあいさつした。

町は検討中の門太の企画展で碑の寄付者の一覧を披露することを決め、この日準備に入った。